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  さんかくやま(上鉛川):標高:741.2m

天は長く地は久し:点には永遠の生命があり、地には悠久の生命がある。天長節、地久節の語はこれに由来している。
土石流の沢、複雑な地形、ジダケと岩と倒木を越えて名峰雄鉾岳を遠望する

三角点: 点名:三角山 等級 三等三角点 地形図 室蘭−遊楽部岳 世界測地系 緯度42°10′39″.3857経度140°9′1″.8694 標高741.20m 座標系11(X) -202432.740m(Y) -8218.273m基準点現況履歴 [報告なし]北海道二海郡八雲町字三角山 点の記図 なしAY00043S:J1UpXp】

2007.01.20/sa、ha氏と3名→函館5:30車デポ八雲温泉c200m7:30-7:40→温泉から750m(独立標高点224より200m下流の低床橋を渡り赤沢へc215m8:00→c350m9:00→地滑り台地c400m9:45→主稜取付きc550m10:15→c620m10:45→頂上11:08-11:46→c545m12:00→c370m12:15→c280m12:30→c225m12:45→車デポ地着13:26

 【遊楽部川の支流の鉛川、鉱山跡地で東に分岐するアカ沢・友待沢の源流にある。雄鉾岳999.3mの北東に対峙する独立峰

 コースの地質は、国道沿いのc180m三股分岐から雲石峠にかけては、八雲層の典型的岩相が広く現れていることで知られる。温泉から三角山へのアプローチは、上八雲向斜軸(c100mのエイリン沢川を南北方向)の西側にあって、地層の傾斜が急(40/70/70/42°)に立上がる八雲層にある。温泉の対岸の北西-南東方向の鋸歯状岩尾根は、黒松内層相当の凝灰岩、火山角礫岩と思われる。赤沢に入ると、地層の傾斜がかなり急な受盤の領域になり、岩塊がはなはだ多い沢を遡行することとなり、八雲層に貫入した安山岩・玄武岩、そして八雲層内の凝灰岩の岩塊が随所に見られた。赤沢を離れて、c450mにある地滑り成因のだだっ広い無立木地あたりで、八雲層を貫入した石英斑岩の傾斜30〜35°の山体(三角山)と対峙することとなった。】

 【近隣の山岳遊楽部岳・太櫓岳は花崗岩、ペンケ岳は黒松内層火山角礫岩、岩子岳・三角山・賀老山は貫入石英斑岩、雄鉾岳・元小屋沢山・沖沢山は追分階火山角礫岩類でなる】

 温泉名 鉛川温泉(下の湯)、深度(205m)、温度(56.7℃)、流量(779L/min・動力揚水)、 pH(6.7)、泉質(Na・Ca-Cl・HCO_3)】鉛川鉱山の鉱石は(休鉱の鉛川鉱山(八雲鉱山))マンガン、鉛、亜鉛、金、銀】


三角山は、中部渡島(太櫓山1053.4m〜乙部岳1016.6m)にあり、分水嶺から少し東に離れて、鉛川を挟んで名峰雄鉾岳と対峙する。峨峨たる岩壁の雄鉾岳と、森林に覆われた三角形の山容は、八雲市街からも発見し易い。また、分水嶺の元小屋沢山から尾根が北に分かれている三角山と賀呂山694mと札幌山540mの三山が八雲丘陵に向かって東西に並ぶ姿は、市街から望める山岳風景となっている。三角点の所在地は「八雲町字三角山」になっている。字名にもなっている三角山は古くから住民に親しまれた山なのであろう。

遊楽部の支流鉛川が左に分岐する周辺を字名「鉛川」と呼ぶ。鉛川源流にある温泉周辺を「上鉛川」と呼ぶこともある。地質調査総合センター発行の温泉名一覧には鉛川温泉(下の湯)と記されている。往時は「上の湯」があったであろうが、小・中学校や郵便局とともに今はもう無い。地形図では八雲温泉、八雲鉱山と記載しされている。従来から地域の人々は鉛川温泉、鉛川鉱山と呼ぶのが普通であるから、いつの頃からか八雲温泉、八雲鉱山としたのであろうか。町営おぼこ荘の手前に立派な建造物がある。これは小牧荘と言うのだそうだ。八雲町と姉妹都市小牧市(徳川家由来)の保養施設だという。このような市民のための施設は、北海道の自治体ではなかなか考えられないから、この話を同行のsa氏から聞いたときは、妙に感心したことだった。


@夜明け。茜色したpeak591m上空 Aうす茜色のペンケ岳 B低床の橋を渡り鉛川からアカ沢へ 


おぼこ荘の前に車をデポした。日の出前の6時40分に出発できた。後志地方の曇天の端っこが終日八雲にかかっているという「曇り」の天気予報だが、空は薄雲で明るく、車のデポ地から三角山の前峰の尖り山c591mの上空は茜色に染まって見えた@。振返るとうす茜色のペンケ岳Aが朝日に輝く。風はない。まずまずの出発だ。くるぶしまで埋まるので直ぐワカンを着けた。林道を律儀に歩いたテンの足痕に先導されて760m前進した。鉛川にかかる治山事業用の低床橋を渡り東に流れる「アカ沢」に入るB。振返ると雄鉾岳の姿が飛び込んできた。今日のメーンイベントは、朝日に輝く雄鉾岳展望だが、空には雲があり、まだ灰色の岩壁だったC。積雪の状態から西尾根の登攀はあきらめ、今日は北尾根から登ることにした。北尾根はザイル、ハーネス等の登攀用具は不要なので、それら不要な登攀装備はアカ沢入口にデポした。赤沢に沿って作業路を進むと、2004年作設のスリットダムが短い間隔で次々と現れたD。c260mの小沢分岐に小山のような土石流のデブリがあって、このままアカ沢沿いを進むのを避けて、尾根を高巻きc340mまで登る。トドマツの植林地をトラバースしながら小沢を2つ越えて、取付きの目指すヤセ尾根へ向かった。トラバースは緩やかな斜面ながら地滑り跡のようで、ゴタゴタとした地形だ。膝までヌカルしまらない雪の中を結構なアルバイトを強いられた。ヤセ尾根を登るとc400mの運動場のような広場に着いた。高度を稼げなかったアルバイトだったが、ここで一息ついたE


Cアカ沢から見る雄鉾岳 Dアカ沢にかかる治山スリットダム Ec400m広場で一息(ここから急登だ)




F左端のピラミダルなPeakは岩子岳802m    G最左の岩子岳、右端の丸頂がペンケ岳856m


三角錐の底辺にいよいよ取り付く。気力全開を求められる急斜面、30〜35°が頂まで一本調子で続く最後の核心部だ。雄鉾岳も岩子岳もペンケ岳も遊楽部岳も太櫓岳も背後に美しい姿を見せる。今日は大寒の入りだが、例年になく記録的な暖冬だから雪にしまりがない。その分頑張るだけだ。ジダケ、倒木、岩などが隠れていて空洞の落とし穴をつくっていた。何度か脚を踏み抜いた。小刻みにラッセルを交替した。最後はha氏のラッセルに後続がついていくことになった。ヒマラヤンの強力なラッセルに追いつけないふがいなさであったが、最後の百歩を全力で数えながら頑張って頂上に立てたH

11:08期待の大きかった雄鉾岳の岩と雪の岩壁の輝きは、陽の射す時間が過ぎていた。青空が小さく開いたが雄鉾岳の南尾根をスポットしただけで、寒々とした岩と雪の大岩壁の姿だけだったI。しかし割り岩も見た。横山、砂蘭部岳、小鉾岳、沖沢山、元小屋沢山、熊石の山々も、賀呂山、札幌山の山々、そして八雲平野も…大展望を楽しめて大満足の頂上だったJ


H三角山から八雲市街 I西尾根方向に名峰雄鉾岳と割岩 J登頂儀式ha氏と


頂上はブナ林だった。一般の大きな山域だったら、標高700mくらいであれば山塊効果もあってブナ林は納得できる。しかし山頂のブナ林を見るまでは、孤立峰の三角山だから山頂効果もあってダケカンバを主とする林であろうと考えていた。想像を裏切られた。三角山は西に雄鉾岳など大きな山稜があって季節風が弱められる位置にある。そのために山頂効果が現れにくいのであろう。三角山の山岳の配置が、ブナを主とする森林に覆われた山頂にしたのであろうと考えられた。ダケカンバの点在はあった。そして東側の雪崩斜面にはダケカンバの小さな群落も見えた…。

頂上の儀式を終えると帰路は早い。ブナ林の急斜面をスキーでもやるように一気に下った。戯れれば尻滑りも出来ただろう急斜面だった。それでも、登りに難儀した落とし穴に脚を落とさないように注意をはらった。ブナの樹幹に着生する地衣類の観察から、通常の根雪の深さが分かった。その高さは、現在の積雪から2mも上方だった。ここでも、積雪の少なさが話題になった。立春まで残りあと2週間を残すだけである。このままの暖かさと少雪が続けば、函館地方のこの冬は、経験したことがないかなりの異常気象に記録されることだろうと思った。


K左に横山、右に砂蘭部岳 L遙かな沖沢岳 M寡雪(境界標識:2004年に国有林を八雲町へ売却)


N生々しい崩壊の跡地(トドマツ植林地) O坑口跡:鉱水の流出 P温泉の川向の岩尾根:受盤(向斜軸の西側で急傾斜(40/70/70/42°)に立上がる黒松内層の角礫岩岩尾根。斜面下手前は八雲層)



Q市街から三角山と雄鉾岳


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