.  はかまごしだけ(三角点 袴腰山1108.33m) 水の積むや厚かざれば、則ち大舟を負うに力なし→水にある程度の深さがなければ、大きな舟を浮かべることはできない。同様に、十分に学問・修養を積まなければ、重い任務にあたることはできない。
函館市域で一番高い山。身近に冬山を楽しめる山。

三角点:点名 袴腰山 等級 一等三角点 地形図 函館−臼尻 WGS84緯度 41°55′24″.7085経度 140°48′33″.4265標高 1108.33m座標系11(X) -230504.851m(Y) 46388.077m正常 2003/07/14 所在地 函館市亀田大森町1番1(14林班)/茅部郡南茅部町字尻臼723番1(121林班)点の記図→:選点明治30年6月27日設置明治33年9月13日観測平成14年9月4日ばんだい号慰霊碑駐車場徒歩1時間30分約5km AY00043S:J1UpXp】

 2007.02.25/単独→函館6:40中野ダム車デポc270m7:26→登山口(登山者名簿)c320m8:00→土現雨量観測所c485m8:48-9:00→取付き斜面c615m9:45→c800m10:30→c900m10:45→c1000m11:15→山頂c1108.3m11:05-12:53三角山c889m13:35→c800m13:45c700m14:00c600m14:30雨量観測所c485m14:45-15:00登山口c320m15:00中野ダム着c270m15:43往距8.5km累積+867m累積-47m推定3:05復路8.7km-895m+75m】

 袴腰岳は一等三角点「袴腰山」が設置されている山だけあって展望に優れ、函館市域で一番高い山である。亀田半島〜松前半島がつくる本州に向う扇状の要にいる気分にさせる。近隣の一等三角点は亀田半島に25km離れて古部岳、22km気無山、16km離れて亀田、松前半島に29km離れて当別丸山、北に19km離れて砂原岳がある。】

 コースの地質:溶岩台地が著しく発達する横津岳上部溶岩、台地の周りに横津岳下部溶岩として普通輝石紫蘇輝石安山岩が認められている。横津岳両溶岩は鮮新世末期とされ、三森山溶岩や雁皮山溶岩より新しく、更新世の泣面山溶岩、熊泊山溶岩よりは古い時代とされる。中野ダムから鮮新世前期あたりの集塊岩、溶岩、凝灰角礫岩、凝灰岩の火山砕屑岩類が不定の沢模様そしてゴタゴタと錯綜した地形をつくる。ゴタゴタした地形が又森林生産力の高い緩斜面をも発達させている。】

 鉱山 白沼に赤沼鉱山(Fe)】


袴腰岳は函館市管内で一番高い山だが、横津連峰の端っこに位置する名高い横津岳に比べて影が薄い。高ければ尊しではないが、「袴腰岳が函館で一番高い山」であてもこのことは市民にあまりい知られていない不遇の山である。函館の山屋にとってみると、白銀の世界があり、身近であり、力試しには格好の山だ。山を教えてくれた往時の同僚は、この山を利用していた。久しく山に行っていないときなどに体力維持の必要から歩いていたコースだった。また登山家にこのコースを誘われたことがある。登山をやっていなかった頃の話であるから9kmの道程をそれも雪山を…。私にはこんなに遠い道は考えられないことだった。登山を始めて4年目になるが、中野ダムから袴腰岳往復ルートはそんなこともあって課題の山!念願の山!だった。

中野ダムサイトに車をデポして勇躍山スキーを履いて出発したが、スノーモービルの轍と、融解・凍結後でとても固く凍り付いている林道は滑りにくくストレスがたまるばかりだ。黒い川分岐にある登山者名簿ボックスに記名後、スキーを脱ぎ捨てツボ足で歩くことにした。ここからも固く凍った林道だが、スキーは軽々と付いてきてくれた。プラブーツのビブラム底が引っ掛かる柔雪の場所を選びながらはやる脚を押さえた。渡渉箇所のコンクリート河床路の水深は10cm程度で問題はない。全くラッセルがないまま、林道から離れて斜面に取付く・c620m地点に着いた。目指す幅の広い尾根ルートにもスノーモービルの走行跡があるではないか。昨日の暖気、今朝の冷え込みが幸いして、林道歩きのスキーを引きずるスタイルのままその固い走行跡を歩いた。スキーは斜面を引きずり上げるが固い雪面だからはたいして重く感じない。なんとも、マッキンリーでそりを曳く植村直己を思い描いた。幸いなるかな、この環境が1000m台まで続いていた。雨後のシバレは冬山に好都合ばかりならいいが…。

課題?の登頂ルートも残すところ高距100mばかりで、頂上は直ぐそこだ。時間はたっぷりある。やや強い風があるが弱めの低気圧はもう通りすぎた後だ。残すは、メランジュ状の岩塔の右側をぬけ、故函館山岳会会長の石碑に挨拶して、三角点の100m北、1100mの稜線に出るだけだ。ルートを追いながらシールを貼る。ここまで引きずって連れてきた山スキーに恥をかかせられない。スノーモービルの跡と分れて山スキーのお世話になる番だ。ところがである。35°程度の斜面をギグを切って登れども登れどもズリ落とされる。エッジが効かない。新雪数cm下はアイスバーンだ。昨日の10℃の暖気と今朝のシバレが造った西斜面の環境だ。何度か挑戦したが僅かしか成果が上がらない。ここで登頂をあきらめないとすれば、ツボ足で斜面を蹴って進むしかない。低木状のダケカンバに身体を支えて、山スキーをザックに括りつけた。キックステップを慎重に繰り返した。沢地形の木のない斜面はやはりビビる。ダケカンバ低木林の混んでいるところをコースに選んだ。数回蹴ってステップを切り、両ストックを平行に立て、慎重に身体を持ち上げる。これを繰り返した。岩塔を回り込むとズーと傾斜がゆるくなって石碑の前に立てた。石碑に凍り付いた雪はちっとも落やしないからそのままにして挨拶した。石碑から刈り分け道らしいルートに沿って稜線の夏路に飛び出た。三角点まで夏路を南へ100m。すっかり緊張が解けた。が、しかし夏路は稜線の少し西側をトラバース気味に作られている。風景を見ながら歩いて間もなく、右足を滑らして四つんばいになった。短い距離であるけれども、またまた慎重に、アイスバーンの斜面の肩にある夏路を避けて稜線上に移動せざるを得なかった。

アイゼン、ピッケルなしでビビった。おまけにスキーアイゼンを携行しなかった。結果的には、キックステップで慎重に高距100mを1時間30分かけて、山スキーを頂上に持ち上げることになった。低山と言えどもピッケルは必須装備。身にしみて分かったことだった。・・・全くの不覚と言うべきか。山頂の標識類は一切積雪の下だった。一等三角点の袴腰岳から近隣の同等級の古部岳、気無山、亀田、当別丸山、砂原岳の方向を指呼し、測量官の選点は如何様だったろうかと彼らに思いを馳せもした。樹氷の美しさと、満足するまで周辺の山地地形を展望した。

復路は三角山〜ワラビ岱〜雨量観測所〜中野ダムの夏コースを選んだ。ところによっては標識はあるけれど気まぐれだからあてにできない。雨量観測所に着くまではやはり地図と磁石から目を離せなかった。




↑@黒い川分岐:入山者名簿ボックス8時04分


  ↑A700m台ブナ林から烏帽子岳を望む 


↑B800台から袴腰岳。中央に見える2つの岩塔の間を登り、小さな白く見える突起(石碑)経由で山稜へ

↑C1000m台ダケカンバ林。スキー装着場所


↑DI氏の石碑・・・


 ↑Eダケカンバ・ミヤマハンノキ・ミネザクラの袴腰岳山頂12時24分・・・烏帽子と横津ドーム


  
↑F泣面山・・・昨年大船温泉から登頂


↑G熊泊山・・・先月鹿部周りで登頂


↑H鹿部丸山・・・昨年横津経由で

↑I三角山・・・中野ダムコース 

↑J三角山の雪庇・・・標識類は積雪下

↑Kエゾマツ残存植栽木・・・古い登山書には「エゾマツ植林地を経由して・・・」の記述有り

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↓ルート図


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