けなしやま(濁川) (三角点 毛無山684.31m) 千里に適く者は、三月糧を聚む→千里の遠いところに行こうとするものは、三ヶ月前からその食料の用意にかかっていなければならない。同様に、遠い人生をわたるためには、修養の時期に相当の時間をかけておかなければならない。

2007.03.17(土)Ka・Sa・Ha氏と4名→函館(5:00)→濁川ダムサイト(6:20)→北峰678m(8:30)→毛無山684m(9:00-9:30)→南峰680m(9:40)→林道→1.6kmでダムサイト着(11:00)(kash沿距7.5km+624m-618m時間2:36】

【三角点:点名 毛無山 等級 二等三角点 地形図 室蘭−濁川 世界測地系緯度 42°5′15″.6158経度 140°28′13″.6923標高684.31m平面直角座標系(X) -212402.738m(Y) 18239.201m所在地 森町濁川 国有林森事業区 点の記図→埋標 明治42年10月8日】

毛無山は濁川流域と桂川流域を分つ分水嶺上にあり、濁川盆地から眺めると北ピークと南ピークを合わせ持つ。盆地から南東方向にあり、ゆったりした三峯の山に見えるのがそれである】


コースの地質:ルート上は、1万2000年前形成の濁川カルデラ→中新世中期の八雲層(硬質頁岩)→石倉層(カルデラ噴出のベースサージ堆積物)→八雲層(硬質頁岩)→毛無山溶岩(輝石安山岩)】

温泉:温泉名 濁川(Nigorikawa) 地名 森町 深度(m) 300 温度(℃) 95 流量(l/min) 3359 pH 8.6 泉質 "Na-Cl・HCO_3,Na-Cl"


 ↑@毛無山:中央が本峰、左右に北峯と南峰  























  ↑A狗神岳の東面や北稜



























↑B吊り尾根のブナ二次林を行く



↑C毛無山の頂:展望よく広場になっていた



↑D乙部岳と鍋岳



↑Eトドマツ植林地内の作業路とブナ二次林



↑Fブナの樹皮の地衣植物
 
 毛無山の山名を検索すると、気無山、木無山を含めて北海道で9個ヒットした。いずれの山も生活圏から身近な山に存在しているように思われた。山名の解説によれば、その由来はアイヌ語で、和語の意味するところと反対だという。濁川小学校校庭から南東方向に展望できるその山は、毛無山を中央にして三峯になってゆったり並んで見える@。澄川を挟んで対峙する狗神岳は蛾々として険しくそびえ立つ。濁川流域にあって、毛無山と狗神岳はまことに対称的な山である。
 
 秘峰狗神岳の岩壁などを真っ正面から眺めるには、さらに上流の標高点437m付近まで行かなければならないが、比較的手頃に遠望できるのは毛無山だろうと考えられた。毛無山は小さな山ながらそれぞれが気になる未踏の山であった。狗神岳の岩壁を眺めたい。狗神岳への登頂を強固に阻む北ルート東ルートの何処かに弱点はないか。カルデラ地形の全体を俯瞰できる楽しみもある。同行のメンバーの思いはそれぞれであった。

 日の出(5:46)前の5時に函館を発った。まだ暗いうちの早出は、堅雪の上を歩き出す算段だ。堅雪を狙うのは春山をやる山屋のセオリーだそうだ。濁川ダムサイトの「連絡は農村振興課へ」の看板が立つスペースに車をデポして準備にかかる。さすがに盆地だからであろうか、放射冷却でこの時期としてはかなり冷え込んで手が凍えた。穏やかな日和を約束してくれる冷え込みもまた良しである。狗神岳の峰だけが茜色に染まるA。カメラを取り出す間もなく岩壁全体に茜色が広がっていった。国有林の入口(橋の手前)の手前に、桂川方向の山に向っている林道が新設されていた。林道入口から、毛無山に向う西陵を見るとかなり急だ。午前中は陽が射さなず寒そうだ。整備された幅広い歩道(防火線)もあるようだが、最初は沢1km弱の遡行がある。三つの峯を踏みたいこともあって、反射板のある北峯678mを周回して頂上を目指すコースを選んだ。

 ルート上の250m〜300m付近の地形図のコンターは見慣れない模様をしている。その水系模様に規則性がない。そこここに窪み記号がある。こんな錯綜した地形の時は、地形図を読みながら進んでもしょうがない。コンパスを切って、小さな起伏に心を囚われることのないルート取りで、ガンガン進むのがよい。新設の林道のヘアーピンカーブc250mから、スギ植林地を突っ切って目指す狭い尾根に向かい、南東にコンパスを切った。細かくて不規則な水系など、スギ植林地の中のゴタゴタしたこんな地形は見たことがない。後で知ったことだが”カルデラ噴出物(ベースサージ)”がつくる台地の末端だった。

 ベースサージがつくる細かな不規則のゴタゴタ地形。全体的には山麓緩斜面〜麓屑面のスギ林を過ぎて八雲層の尾根に取り付いた。そこはスギ林から広葉樹の混じったカラマツの林に変わっていた。硬質頁岩のつくる安定したいつもの見慣れた尾根地形を登った。カラマツ植林から広葉樹二次林に変わるところが頁岩から安山岩域に入るところだった。安山岩域はさらに安定した丸い尾根になっていた。一がんばりで北峯678mに立てた。c500mあたりからカルデラの底、壁、外輪を眺めることができるようになった。地熱利用施設から蒸気が太く高く吹き出していた。この展望を見た我々は期せずして”濁川の人たちのハイキングの山として、ふる里の山としても格好の山だろう”と話がでたほど、カルデラ底の家並みや田園のたたずまいが静かで好ましかった。

 吊り尾根Bは、反射板のある場所を経由して80m降り毛無山に向う。穏やかな日和の尾根は我々を快活にさせた。いくつかの動物の足痕をワイワイと種を同定しながら、キテン、タヌキ、○○ネズミ、ユキウサギ・・・、ウォーキングする野鳥の足痕はツグミ?であろうか。ダケカンバとブナの二次林が交互に混じった尾根は心地よく、いつの間にか広々とした三角点の毛無山に着いたC。幅広く伐開された防火線、赤ペンキが塗られた境界見出し標が下から山頂に続いていた。釜別〜濁川〜桂川〜鳥崎と続く国有林界なのであろう。さすがに展望がいい二等三角点だったD

 伐開された防火線の尾根を下りるのが最短なのであろうがまだ急ぐことはない。狗神岳周囲の地形をもっと知りたかったこともあった。南峰を踏んで、地形図に描かれた尾根沿いの歩道に従って林道に下りることにした。急斜面を終えて傾斜変換点の350mあたりから、今度は地滑り地形の緩斜面に入った。やはり地滑り地帯は優良な植林地が多い。土地生産力の高い立地にトドマツを主とした植林地があった。1960年代前半の植林らしいトドマツは、丁度間伐時期なのだろう。作業路が縦横に走っていた。南峰から急な尾根〜作業路E、F〜林道を繋いで下った。

 「元湯神泉館」濁川温泉にこり湯にたち寄った。泉質はナトリウム・マグネシウム・塩化物炭酸水素塩泉でなかなか身体が温まる。露天風呂での山談義に話は尽きない。こんな長湯は初めてだろう。→1798年に奉納された薬師如来像が現存し、1807年に加賀屋半左衛門が道を開いて湯治場を整備開設したという。明治に元湯と称し神泉館と命名し、元湯神泉館前に1963年設置の“濁川温泉発祥の地”記念碑がある。濁川に伊能忠敬も立寄ったという。彼の略歴によると1799年〜1800年に蝦夷地で仕事をしていた。 

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↓ルート図

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