とうみょうだけ(東莱)  (三角点 神馬山684.31m)→(三角点 奥丸山)
TOMYO→朝菌は、晦朔を知らず→朝にチョット生えるキノコは、朔日も晦日もその区別を知らない。人のいのちもこのキノコのようにはかないものである。
ブナの巨樹を訪ねて(現在情報で北海道一(直径)としておこう)

2007.03.20(火)→函館(5:30)→頃内林道駐車(送電線下c115m)(6:30-6:46)→林道から急斜面へc290m(7:35-7:44)→尾根c490m(8:27-8:35)→燈明岳△点(8:56-9:24)→奥丸山△点c826m(11:19-11:41)→c641m標高点(12:17-12:34)→車デポ着(13:54)kash沿距10.7km+884m-884m時間3:34】

三角点:点名 神馬山 三等三角点 地形図 函館−知内 緯度 41°33′55″.5384経度 140°22′21″.263標高 577.42m(X) -270418.770m(Y) 10223.054m所在地 知内町字東莱 点の記図 なし
三角点:点名 奥丸山 三等三角点 地形図 函館−知内緯度 41°32′34″.2211経度 140°22′33″.7776標高 826.26m(X) -272926.846m(Y) 10516.647m所在地 知内町字東莱 点の記図 なし

燈明岳は東莱(とうらい)流域と頃内流域を分つ分水嶺上にある。山名の燈明岳といい三角点名の神馬山といい、人々の山岳信仰、地域の霊峰としての地位が匂い立つ名である】


コースの地質:ルートは、鮮新世後期〜更新世の「知内火山岩類」域にある。燈明岳・丸山を含む標高450m超の領域は「輝石安山岩溶岩」域であり、その周囲は車デポ地を含めて「安山岩質火山角礫岩層」が囲んでいる。小谷石や矢越岬の海側(知内火山岩類域南側)は、変質帯を含み急峻な地形が海に落ちている。一方燈明岳を含む知内川側(知内火山岩類域北側)は、谷密度の少ない安山岩のおおらかな大地形になっている。】

温泉
[こもれび温泉] ナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉  [知内温泉] 鉄鉱泉・炭酸塩類泉

 ↑@燈明岳:左に・641m標高点



↑A林道から分れスギ植林の35°斜面へ取り付く。沢沿いはサワグルミ二次林。



↑B燈明岳のよく管理された社。左はブナ、正面はダケカンバ。

↑燈明岳から当別丸山と函館山。



↑ブナ巨樹D=140cm


↑Cブナ巨樹。右のツルアジサイは直径10cm超。



↑D樹幹が樹状・葉状・痂状といった地衣植物に覆われた原生的ブナ林



↑E皆伐されトドマツが植林され、結果ブナ原生林がダケカンバ二次林に変換された。



↑Fコロナイ流域の林業地。適地的木、枝打ち・間伐などの行き届いた森林施業。



E↑奥丸山から知内火力発電所の蒸気を俯瞰できる。
 
 燈明岳@の三角点名は神馬山という。なにやら霊山、信仰の山を思わせる。大千軒岳山域の燈明岳(三角点無し・花崗岩類)、七つ岳山域の燈明岳(点名も燈明岳・安山岩類)と合わせて知内川流域に三座ある。他には大阪、和歌山に一座ずつあるようだ。指呼の間に三座が集中しているのはなんとも気を持たせる。興味深くもある。山名の由来はここでは述べないが、燈明岳への夏路は古くから東莱にあった。知内川下流の集落「上雷」で分れる支流「中東莱川」沿いだ。地形図から判断すると、国有林界の境界歩道を辿って頂上へ達することができそうだ。なによりも頂上によく手入れされた社があったから、確かな夏路は今もあると思われた。

 函館市内から見ると、函館山の背後に北斗市の当別丸山や桂岳の連山がある。後に遠く知内町、福島町の山波がある。津軽海峡側から大千軒岳へ遠くかすみながらも南北に並ぶ連山が見渡せるのがそれである。連山の津軽海峡側の第一列に知内火力発電所の煙突から上る蒸気と知内火山域のいくつかの突出したピークを発見できる。その一つの燈明岳は、440m等高線が半円形〜円弧(270°)の形をなし、577.4m三角点との比高およそ140m、基底直径600m弱の大きさの円錐形の山容である。その山容から、一見して溶岩円頂丘(鐘状火山)を思わせるがそれは分からない(溶岩噴出の年代が百万年前後と古い)。知内火山岩域の主稜にある奥丸山から知内川側(北側)に幅広い緩やかな尾根となって燈明岳に続いている。その一連の溶岩域の流れの末端の凸部に燈明岳がある。

 矢越岬に代表される断崖絶壁の海岸。小谷石集落に代表される変質帯。海側の地域は人跡近づきがたい地形になっている。丸山665m〜奥丸山826m〜岩部岳794mの主稜の南側だ。一方同じ知内火山岩類域に属する主稜の反対側(北側)は、谷密度が低い安定した安山岩域特有の大地形になっている(知内川支流サカサ川、大川、宿辺川、コモナイ川、出石川、上東莱川(ムズルセ川)、中東莱川、コロナイ川、外記川、フキリ川の上流域)。つまり一方が崖反対側は緩やかな斜面の非対称山稜である。この度は緩やかな尾根を辿るルートだ。

 ブナの巨樹がある。先日この尾根を訪ねたSakag氏の情報があって、その木を見たさに訪ねることにした。ひそかにではあるが、Sakag氏のシュプールを辿って山スキーの操作を学びたかったこともあった。コース取り、シールの処理などはどうか・・・。A標高400mくらいまでシュプールはある。しかし、主尾根に上がるとそれはすっかり消えてなくなっていた。新雪の下になっていたからひそかな願いはかなわなかった。しかし、燈明岳〜奥丸山往復の立派な尾根を歩けたし、巨樹を記録でき、樹幹が樹状・葉状・痂状といった地衣植物に覆われた原生的ブナ林Dの風景に遭遇できたことで、それはあまりある満足の春山だった。

 帰路は登りのルートを辿るのも興がない。燈明岳に戻らないルートをとった。・641m標高点から・375m標高点に向う緩斜面状の幅の広い尾根を辿り、林道に下りるルートだ。だだっ広いスギ植林の中だ。辺りの地形が見えない。コンパスだけを頼りに歩いた。植林地はスギとトドマツが植え分けられ「適地的木」の考え方が貫かれていた。さらに枝打ち・間伐作業が丁寧に行われていた。長いコースだが、コロナイ川の林業に感心しながら飽きずに下りることができた。

 原生的ブナ林があの尾根に・・・。Sakag氏の疑問「私は太さもそうですが、枝の広がり具合に驚きました。下の斜面に人工林があるのに、あの尾根にあれだけのBUNAの大木が沢山残っているのはなぜなんでしょうか?」 私は◆渡島半島の原生林域では、ブナの分布は沢沿いから尾根までの広い領域を占める。◆ブナ林は数ヘクタール単位で立地区分された。@人工林に転換する領域は○○立地 A択伐して利用する領域は△△立地 B斧を入れない禁伐領域は××立地と。◆結果、××立地は、網の目状・樹枝状に配置されるのが原則と回答した。時代は変わり、森林施業が代わり、技術者が代わり、技能者が代わり、経済社会が変わった。技術・技能の伝承が危機的、森林資源の保続が危機的と言われ、網の目状・樹枝状に残された、当初設計された原生的天然林域は・・・。
 
 「地形的にそれほど厳しいところでもないのに、あれだけのBUNAが残っている・・・いわゆる禁伐領域だったということ?これからも保護されるといいですね。」・・・多くの方々が考えることだ。「木を見て森を見ず」というが「木を見て土を見ず」にならないようにしたいと思った。当初の設計に戻らなくても良いから、土に備わっている性質・特徴だけで「土地する地形と保全する地形」の2軸で評価する。時代が変わってもだいじなことは、林業する場所をきっちり決めることだと思った。燈明岳山行はそんなことを考えさせるルートだった。

toppage

↓ルート図

inserted by FC2 system