ようていざん 1898m  (三角点:真狩岳 1893.02m) YOTEIZAN→夏ゼミは春秋を知らず→夏ゼミは春も秋も知らない。夏だけの短い寿命である。人生もこのように短いものである。
てっぺんから滑ろう

2007.04.14(土)→函館(12:00)→京極登山口(京極山荘泊)(15:30)→04.15(日)登山口c400m(7:00)→c1490m(10:00-10:40)→登山口(13:00) kash沿距4.6km+1463m-0m時間3:51】

三角点:点名 真狩岳 等級 一等三角点 地形図 岩内−留寿都 世界測地系緯度 42°49′41″.6390経度 140°48′40″.2492標高 1893.02m平面直角座標系(番号) 11(X) -130018.490m(Y) 45881.913m[正常 2002/08/10]選点 明治30年7月31日設置明治33年9月18日観測平成14年8月21日

羊蹄山の三角点名は真狩岳(マッカリタケ1898m)、山名は後方羊蹄山(シリベシヤマ1893.02m)】


コースの地質:京極コースは、Co440mラインまでの扇状地堆積物(砂、礫、火山灰・岩礫)の表層地質ではじまる。傾斜は5度未満の緩やかな畑の畔歩きである。続いて600mまで10度、800mまで17度、1000mまで22度、1200mまで26度、1400mまで29度、1600mまで31度、1800mまで32度、外輪1873mまで28度と、ほぼ標高が高くなるほど傾斜が急になる。この度の山スキー登行の経験では、標高1450mから上部はスキーアイゼンなしでは困難であった。つまりスキーシールだけでは、1450mが登攀の限界であった。傾斜が30度を超えるあたりでもあった。
 1400mが高木限界になるが、1400mあたりから羊蹄山の山体の西側は「溶岩(両輝石安山岩)」で、山体の東側は「破片的放出物」に大まかには二つに区分される。比羅夫側コースと京極コースのトドマツ、エゾマツの分布の違いはそれを反映しているのであろう。
 京極コースは東側にあたり、440mまで扇状堆積物、1300mまでが破片的放出物、1300mを超す上部では溶岩域と報告されている。したがって、標高1300mから1400m辺りから、地質においても、地形に於いても、森林の区分に於いても重要な界をなしているようである。
 


↑@京極山荘







↑A800m「コヌカ雪」の中







↑B1450mダケカンバ低木林地帯







↑C1500mアイスバーン低木は雪の中

 羊蹄山は、春夏秋冬、全天候型で登れるようになりたいと思う。そんな願いがあったので、森林I協議会の仲間である札幌のO氏からの誘いに二つ返事で同行した。春山は標高差の大きい斜面をすべる楽しさもあるが、前記の願いを少しでも前に進めたかった。天気はミゾレ〜曇り、風はなかったが、終始暖気のもやったガスの中の行動であった。

 5時に起床し、5時半に朝食、7時京極山荘を出た。畑地から森林地帯に入る辺りは積雪50cm程度だった。1時間300mのゆっくりペースで登った。昨日までの雪が10cm程度だったのでラッセルに苦労はなかった。天候は曇、雲の中ではこぬか雨さながら「こぬか雪」状態、気温が高く、シールに雪がついて(俺はシールワックスを丁寧に塗ったからだいぶ楽をした)歩きづらいあいにくのガスであった。しかし、深くぬかることもなくもくもくとラッセルを続けることができた。

 SUUNTOFieldCompassesは終始255°あたりを行ったり来たりの方向を指していた。夏路の京極コースである。幅の広い尾根歩きだ。羊蹄山の沢模様は典型的な放射状模様であるから、1000mあたりになるとかなり尾根の幅が狭くなってくる。左右の沢が100m未満に迫ってくる。帰路はコンパスだけでは心許ない。一回のターンの幅で違った尾根に入ることも考えられる。油断はできない。地形図を確かめるとコースの南側が押し出しの沢だ。標高800mに垂直の崖があるようだ。迷い込んだら抜け出るのも容易でない。北側の沢は、迷って入ってもなんなく尾根に戻れそうな沢地形だ。したがって、どんなことがあってもコースを南側にずれてはならないと思った。

 高木限界を過ぎた1400メートル当たりから、アイスバーンの地形が現れた。シールだけで、たまに落とされながらのガマンのギグ登行になった。様子を見ながら、1450メートルをシール限界地点とした。スキーアイゼンを装着した。ダケカンバ低木林地帯であるが、昨秋あれほど密生していたダケカンバの姿は、根雪に引っ張られた寝姿で、疎らにしか見えない。天候はもうガスってほとんど先が見えなくなった。視界は何メートルであろうか。一回のギクを切る先を行く人影を確かめるのも容易でない。赤布はあるが旗棹は持っていない。1500mで行動中止と決めた(10時40分)。風はない。寒さもない。ガスの他に行動を停止する困難な要素はなにもない。スキーをデポしてアイゼンとピッケルを持って憧れの頂上に立ちたかった。心残りであるがしかたがない。

 下りはガスで一寸先も見えないほどの視界だ。上りのトレースを見失なわないように、斜滑降と横滑りの連続であったが、それでもトレースから離れそうになるものだ。地形図を確かめてもしょうがないのだが、この辺りかと見当を付けて、間違っても押し出しの沢に入らないようにコンパスとにらめっこしながら、慎重に慎重に下りることが求められた。「間違うなら左へ、北へ」だった。暖気の新雪だったから急斜面が恐い。凹形斜面が恐い。「谷に入ったのでは」と、常に不安な気持ちを打ち消しながらの下降だった。

 少し見通しがよくなったのは1000メートル付近からだった。しかし依然としてガスの中だ。標高800mから川西集落の農家の屋根がようやく確認された。ここで自分たちのいる場所が確定されたのだった(GPS不携帯)。京極山荘到着後に、ガスが晴れて羊蹄山の地形を振返えることができた。押し出しの沢にかなりの数の治山ダムが設置され、ガロウ状の谷間の縁は垂直の崖を為している。そこにトドマツ、エゾマツが生えている。(12時25分)。

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↓ルート図

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