ぶなの沢左股〜夏道 739.8m(三角点:739.81 m)  HIGURASIYAMA→世を挙って之を誉むれども、勧むることを加えず。世を挙って之を非れども、沮むことを加えず。→世間中がこぞってって自分をほめたからといって、それで大いにはげみ勇んで仕事をすることもない。反対に、世をあげて自分をけなしても、そのために、意気がくじけるかといえば、そういうこともない。つまり、かれは、世の毀誉褒貶について心を動かさなかった。
北限地帯のブナ林の黒松内岳の渓流を行く

【日程】:【2007年7月1日(日)

【ルート】:【黒松内岳登山口駐車場40m上流のブナの沢→左股→黒松内岳→夏道→登山口駐車場】

【メンバ】:L:Hozum SL:Hayas Hukusim Matumot Takahas

【行程】:【・7月01日(晴):函館(5:30)→林道入口(7:28)→登山口Co195(7:47)→ぶなの沢入渓Co195(9:13)→左股分岐Co290(10:09-17)→F15mCo320(10:30-12:30)→Co390分岐(13:45-1350)→F10mCo505(13:30-45)→山頂740m(15:00-15)→登山口駐車場(15:50)→黒松内温泉→ぶなの宿(18:00-19:00)→函館(21:15)】

【三角点】:点名 黒松内岳 等級 二等三角点 地形図 室蘭−大平山 WGS84緯度 42°37′10.8923経度 140°14′38.8666  標高 739.81 m 座標系(X) -153335.148 m 平面直角座標系(Y) -481.571 m 所在地 寿都郡黒松内町字黒松内 点の記図 × AY00043S:J1UpXp】


コースの地質】:ルートは「新第三紀:中新世後期:黒松内層:変質安山岩部層:変質安山岩溶岩」域を行くことになる。入渓は一枚溶岩のブナの滝、一見明色の泥岩に見えるは変質安山岩溶岩→「左股に入り」→15m垂直Fを過ぎても変質安山岩溶岩が主だが火砕岩、火山角礫岩、凝灰角礫岩が繰り返す。Co400分岐過ぎて岩4級を求められる数p縦節理状の安山岩質ハイアロクラスタイトの滝(凝灰角礫岩伴う)はホールドは多数だが小さすぎてバランスが微妙。→安山岩溶岩の山頂に至る。(右股を行くと変質安山岩火砕岩→両輝石安山岩及び角閃石安山岩の火砕岩→両輝石安山岩の頂上)*登山口手前に大栄鉱山跡あり:昭和6年に露頭金鉱を発見。精錬所・社員住宅・分校等の一鉱山街を形成。昭和18年閉鉱。

【山行記録】ブナの沢→左股→黒松内岳頂上(1726.9 m)→夏道下山. 
 ブナの沢→黒松内岳のルートは右沢と左沢の二つがある。黒松内岳の東550m夏道に出るのが右股で、黒松内岳と西岳の間のコル730mに出るのが左股である。今回は山頂の西に出る左股コースをとる。安山岩溶岩の大滝と、数pの縦節理状のいわゆるハイアロクラスタイトの垂直滝の二つでザイルを出した。600mで水が枯れたがほとんど藪こぎがない明るい沢だった。身を覆うササの手前で右の岩をよじ登り、50cmほどの草付きに飛び出してからコルに向うのを止め、右にトラバースして、岩と草付きが交互するとても高度感のある凸形急斜面を慎重に登り、三角点にどんぴしゃりのコースをとった。




←【黒松内岳登山口
 メンバは函館、円山、羊ヶ丘、喜茂別、留寿都から集まる。函館から100kmを1時間30分で走向できた。集合時刻までまだ1時間はある。出掛けの慌ただしいのは性に合わないから、入渓前にゆったり過ごせるのは好きなことだ。入念に準備できた。地図などを読めて、沢音を聞いてそこいらの風景を楽しめるのは、俺には限りなく至福というべきか、ありがたいことだ。いよいよ盛夏を向かえるぶなの樹冠の葉っぱ達の若武者ぶりにも声援を送れた。北の高気圧の大気に包まれた気持ちの良い空模様の朝だったからことさら気分爽快だ。



←入渓地点のブナの滝
 黒松内岳登山口駐車場から奥に30メートルばかりの所が入渓地点で、「ブナの滝」が林道からハウチワカエデ越しに見える。落口が滑らかなカーブを描いている明灰褐色のその滝は、一見、頁岩で出来たジャンボなノジュールのようにも見えた。一見そのように見えたのは、変質安山岩溶岩が白っぽい色をしていたからだった。



Co220の変質安山岩を行くHozu
 小滝の連続や変質安山岩の色合いを楽しみながらも、連続する小滝をすすむ。



Co290の右股分岐:左の水量やや多しと見つめるHayas&Hozu
 小一時間でCo290の右股との分岐が見えた。ここから俺には全く情報のない左股を行くことになる。



Co320の左沢最大の滝:左の端っこを行く(ルートを検討するHaya,Hozu,Haya
 左股を進みすぐ大滝に出た。左は大規模な雪崩荒地植生で大型草本やタニウツギ、ヒメヤシャブシに覆われていた。雪崩荒地植生の急斜面の高巻きは気が重い。左、右と探りながら、結局滝の左側のブッシュと岩の界をザイルで通過した。あれこれと訓練を兼ねていたので、あれこれとこの滝で楽しんだので、かなりの時間ここで過ごした。



Co350の釜と滝をくMatu
 黒松内岳周辺はかなりの豪雪地帯あり、雪崩荒地を左右に抱えてもいる沢だから、雪解け時にはゴウゴウとした流水であろう。毎年全てが洗い流され、苔などはほとんどなくてさっぱりした渓相だ。次々と小滝やナメもありゴルジュ風の滑り台もあって飽きさせることがない沢だ。



←【Co390の分岐左1対右4:Hozu、Huku、Haya、Matuら
 Co390分岐は左1対右4の水流である。目指すは、稜線が高みに顔を出している右をとった。この分岐までかなり歩いたがまだ400mか!と、楽しみすぎたことを反省しながら、沢を楽しんだから標高も全く稼げていない。(この後カメラ水没)



←【Co500の滝:安山岩質ハイアロクラスタイト(数pの安山岩の破片を含有したハイアロクラスタイトからなっている。)

 Co400の分岐を過ぎて、数p縦節理状の岩相の岩4級相当の滝が現れた。海水中で安山岩溶岩が急冷により細かい節理に変化して造られた岩相なのであろうか。だから、ホールドになる箇所は限りなくあるけれど、いかんせん石が小さすぎて、足がかり手がかりを素早く判断しながらすすむ技術・経験が求められた。ザイルの支えられながらも、テクニックの指示を受け緊迫の時を過ごす。ここでも訓練気分で越すこととなったが、このような場所では経験者が同行できて、俺にはうれしい限りである。

 Co600で水が枯れて渓幅は狭まるが、明るいガリー状の沢を歩けて、覚悟していた薮のむさ苦しさは出てこない。いよいよ急になり沢型がササヤブに入って行くところで右側の岩場をよじ登って膝丈の潅木混じりの草地に出た。ここで目標をコルの方向から山頂の方向に替えた。山頂直下の岩場混じりの斜面にトラバースして向った。沢靴は、いい加減な足場どりでは滑る。いずれも微妙なバランスを求められた。ササ、タニウツギやヒメヤシャブシならいいけれど、チシマフウロやゼンテイカになると、足がかりがない手がかりがない。大滝2箇所で肩・腕の力はもうかなり低下している。我が姿が情けなくなるほどビビルことこの上ない。上から誘導する経験者は、我がビビル姿をどう見たか。最後の20mほどのチシマザサの藪こぎは経験者が切り開いた後に続いて、どんぴしゃりと三角点に飛び出ることが出来た。刈り払われた山頂の広場でのこの開放感はいつものことだが、なるほど二等三角点だけあった遠くの山々の展望が良く、山座同定を楽しんだ。

 帰路の夏道はよく整備されていた。プロフェッショナルによる仕事だそうだが、夏道のガレ場にはしっかりしたザイルが張られていた。下に見える林道は西の沢と添別を結ぶ峰越え風のくねくねとした道が続いている。林道から岳の方を見ると、尾根の東斜面に広大は無立木地が拡がっている。成因は何か。一見雪崩斜面だが、そればかりだろうか・・・?時間があれば、林道を辿って詳細を確かめたかった。再訪に期待して下山した。 
玄翁碑
 越後の山をこよなく愛し 生きる喜びを山登り一筋にかけて 還暦の翁になった玄さん
 幼なごころにかえった無心の笑顔 いま温和な瞳にうつるのは 青く澄んだ池塘か風雪にけむる
            五十年の足跡か 精悍な熊のように 越後の山を駆けめぐった 玄さんの鉈目が年輪とともに大きく育ち 北の峰にも南の渓にも 先駆者の誇りをちりばめている そしてこだましてくるのは 若者たちの力強い山靴音だ 鋭い眼差しがかげり 逞しい四肢にはずみが失せても 玄さんの耳は 山の叫ぶ声をとらえ その心は さしのべた山の腕からぬけ出ることはできない 雲表の岩にゆったりと腰をすえた玄さんは 高嶺の花や赤蜻蛉と語り 霧走る山々に眼を細めることだろう。      一栄 
そして、藤島玄というのはペンネームであり、本名は藤島玄太郎なのだそうだ。

  ハイアロクラスタイトとは 

 「地質図幅説明書→:安山岩質ハイアロクラスタイト(Kb)数pの安山岩の破片を含有したハイアロクラスタイトからなっている。」

 急冷節理→水中の場合では、溶岩の外側はアワ状になることはなく、角礫状に破砕され、ハイアロクラスタイトとよぶものになる。特に玄武岩では、枕状溶岩とよばれるローブ状の形態をとることがあるが、安山岩では少ないよいわれる。ここ黒松内岳の左股のCo505に現われた細かな縦節理は安山岩質の急冷ハイアロクラスタイトであろうか。



 

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