. 臼別川本流北東面直登沢から白水岳 
独立標高点1136m。離れて(南に1.09”、東に3.84”)カシミール解説本地図の地名「白水岳」1128mがある。三角点(なし)
OOTENGUYAMA→世を挙って之を誉むれども、勧むることを加えず。世を挙って之を非れども、沮むことを加えず。→世間中がこぞってって自分をほめたからといって、それで大いにはげみ勇んで仕事をすることもない。反対に、世をあげて自分をけなしても、そのために、意気がくじけるかといえば、そういうこともない。つまり、かれは、世の毀誉褒貶について心を動かさなかった。
”ペテガリの沢の記憶を呼び覚ます”と聞いた。はじめから函を歩く遡行は、ワクワクして歩いて興味尽きない。遊楽部ドームの縁を行く楽しみ多い臼別川本流。

行程 ・2008.07.19(土)→函館発(5:45)→平田内温泉白水岳登山口駐車場Co230m(7:30-7:55)→臼別温泉駐車場Co87m(8:50-9:15)→臼別川林道2.0km→クマの沢橋の手前入渓Co190m(9:55)→0.5km→クマの沢出合(臼別川)Co130m(10:30)→1.5km→Co220m二股(丸山沢出合)(12:30)→1.0km→Co260m二股(6月沢出合)(13:10)→0.7km→Co320m二股(7月沢出合)テント場(14:50

2008.07.20(日)→テント場発(6:15)→1km→co410m(7:00)→0.9km→クランク状入口左直、右直、右直、左直峡Co490m(8:00)→0.7km→北西面沢出合いco580m(8:30)→0.9km→北東面沢出合co730m(9:20-30)→最終水場co910m(10:30-40)→チシマザサ密生に飛込むco1010m(11:00)→白水岳山頂標識1136m(11:50

白水岳(12:30)→南白水岳1122m(13:40)→白泉岳1043m(点名白水岳1043.54)(14:10)→ブナ大径林上限co940m→第2見晴所Co855m(15:00)→平田内温泉登山口駐車場着(17:10

三角点の点名と山の名前】 付近に三角点の点名<白水岳1043.72m 臼別岳1018.45m 冷水岳938.12m 臼別頭1251.53m>があり。
付近に山の山名<白水岳1136m 中白水岳1124m 南白水岳1122m 白泉岳1043m(点名白水岳) 臼別岳1251.5m(点名臼別頭) 冷水岳1175m 熊石岳1082m 奥冷水岳1143m 屏風岳938.1m(点名冷水岳)>がある。
三角点名は記号であると分かっていても・・・。「点名と山名と…」新参者には、ここでははなはだ御しがたいものがある…。おまけに旧1/5万図の山名に臼別岳1018m(点名臼別岳)がある。地質図の白水岳にShiromizu-dakeのルビあり。
山名は時代とともに変わりゆくか? 山名は誰かが統一的に管理すべきものではないゆだけれど・・・ジャ〜ん? 

【地形図の読み方?】

・北東面直登沢(青線)の濃厚なササ薮を越えて郡界の繭型山頂に駆け上がった。
・尾根は背丈を超すササやミヤマヤマハンノキ、ダケカンバに視界をさえぎられた。
・1/2.5万図の独立標高点1136mの位置は、支庁界の三点鎖線の右点に重なる。
・カシミール3Dの地名白水岳(WGS84の経緯度)は、「赤+字」の位置に落ちた。
・登山路(赤線)に連絡の白水岳山頂標識は「赤+字」の位置に設けられていた。
・地図がガイドの山登りならば、尾根に出た後に、標高点1136へ向うことは必定。
白水岳はどちら?


コースの地形】..臼別温泉は中新世中期の白っぽい流紋岩の中にある。林道を進むとすぐに黒っぽい安山岩凝灰角礫岩が現われ、さらに進むと狭い流紋岩が出てきた。流紋岩に接して中新世前期の変質(安山岩・玄武岩・凝灰角礫岩)岩が出てくると、間もなく峨峨たる熊の沢が見えてくる。これがテン場の七月沢出合まで続いているのだ。その間の臼別温泉から降りる砂防ダム付近の河床に、また上流の丸山沢出合に、さらに六月沢出合の河床に花崗閃緑岩類(角閃石黒雲母花崗閃緑岩)が露出してくる。つまり中新世前期の変質岩類の中に、河床を中心にして顔を出しているのだ。テン場の七月沢から花崗閃緑岩類となり、co400m付近でホルンフェルスに変わった。co510mのクランク状峡に閃緑ひん岩がチョット顔を出して、ホルンフェルスの北西面直登沢出合いから方状節理の発達した滝群に入る。つまり”遊楽部ドーム”のメインである花崗閃緑岩類の領域(遊楽部岳〜平田内温泉〜見市温泉の一体)に入ったのだった。滝は断層の位置にできるのは勿論だけれど、岩の違いに忠実に反応もしていた。

太田海岸に見る岩石(漬け物石に重宝されている海岸の丸い石)は、臼別川のそれよりかなり白っぽく明るい色だ。こちらの隆起地塊は”遊楽部ドーム”、太田の方は「毛無山ドーム」と呼ぶようだ、「遊楽部ドーム」の説明では、石英は消光し、汚濁が普遍的で、カリ長石が少ない角閃石黒雲母花崗閃緑岩だという。太田海岸の漬け物石は、変質が弱くて、汚濁が進んでいないので、見た目にも漬け物石に新鮮で相応しいか…。

☆両国抗(両国鉱山→臼別川の源流で、白水岳の北北東1.1km、北東面直登沢出合いの北側尾根に記録がある。1868年に個人により探鉱されて、1954年に住友金属に所有が移ったという。その後久遠鉱山と呼ばれて、1961年出鉱を見た。1963年には採鉱を中止したらしい。

☆.温泉名 「臼別(Usubetsu)」 地名  久遠郡せたな町大成区宮野  深度(m) -1 温度(℃) 57 流量(l/min) 55  pH 7.40  泉質 Na-Cl

森林】 ...

(以下※印はN氏提供写真)

同行のN氏はエスケープルートを平田内に定めた。車を平温泉の白水岳登山口に駐車させて、N&Tはもう一台の車で臼別温泉にまわった。★臼別温泉のある臼別川の河口は、海沿いの集落「宮野」にある。宮野は新しい集落名で、旧地名は「臼別」だという。Usyuとは湾の意で、アイヌ語地名の「湾に流入する川」”Usyu Petu”
臼別温泉「湯とぴあ臼別」★ログ舎の温泉だ。この臼別(うすべつ)温泉は江戸時代の旅行家「菅江真澄が入浴した」と、真新し看板に宣伝されていた。温泉宿の開業は1887年とされている。その後鉱山会社が経営した。大蛇とランプの宿として知られていたが老朽化のため1994年に廃業した。★1995年に町が日帰り施設「湯とぴあ臼別」として再開させた。ログ舎は男女別の脱衣所と半露天風呂だ。秘湯の雰囲気満点でその道の愛好家に知られているようだ。私達も、遠く本州から「逗留10日目」という老人と出会った。『泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩泉(含石膏食塩泉)、源泉の温度は53.4℃。営業時間 7:00−19:00 休館日 無休(12月−3月閉鎖)料金 100円(清掃協力金)』と書かれていた。
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臼別温泉から臼別川林道を奥に1km行くと、真っ白で印象的な流紋岩の露頭が現われた。★臼別温泉の場所を含む”温泉沢”も、同じく流紋岩域にあった。地質図を頼って温泉沢の上流を500m辿れば、銅・鉛・亜鉛の廃業鉱山跡と示されていた。
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臼別温泉周辺の流紋岩(前掲写真)は、暗色の全体的に凝灰質の角礫岩類の中にあった。双方ともに、かなり揉まれに揉まれた印象の露頭だった(林道切り取り面の写真)。
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クマの沢に近づくにつれ、林道と沢との比高は、目が眩むほどに高くなってきた。峨々とした地形がはじまるか!と、緊張が高まる。それぞれに変質を受けた安山岩、玄武岩、凝灰角礫岩の領域の函沢地形の臼別川本流も間近に見えてきた。
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臼別川林道から眼下(崖下70m)に河床を覗き、クマの沢出合と本流の函状の沢を見る。中央Y字形の二股はCo220m二股(丸山沢出合)だ。この分だと入渓後直ちに函沢に入るようだ。クマの沢に沿って下る林道歩きもがやっかいなので、林道から直接本流に下りるルートを崖の中に探すも適当なところが見あたらなかった。・・・そのままクマの沢に沿った林道を歩いた。
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クマの沢を渡る橋梁が見えた。橋の下流100mの法面から崖を滑るようにして沢に下りた。沢の向こう側にUターンした林道の先は、急斜面に造られたためであろうか、全面的に崩壊していた。林道の跡形すらないように見えた。
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クマの沢を本流に下る。本流と合流するまでの間、はやくも慎重さを求められる滝をいくつかクライムダウン…、ザイルも出してもらった。
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ロープ頼りの滝下りも楽しんだりして本流へ出た。本流(クマの沢出合)から今来たクマの沢の方向を見上げた。
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クマの沢出合:手前にクマの沢、奥に本流が見える。標高135mの河床にて、対岸の落石は変質岩類の崩壊跡。
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※(以下※印はN氏提供写真)臼別川本流に下りてすぐ函状の地形に突入だった!この間、ゴーロ歩きは全くなかった。緊張がさらに高まった。
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美しい滝がいくつも出てきた。何時泳ぎが…何時高巻きが…何時ロープが…期待に胸が弾んだ(?)。
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(※)いよいよ深山幽谷だ!次々と現われる滝、滝壺の色もいい。テラス状の棚をロープにビレイして用心して滝の上へ出た。(姿は、腰が退けているのではない。セルフビレイを解除している作業中なのだ。)
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素晴らしい色合い(エメラルド…?)の滝壺になってきた。曇り空ながら雰囲気が明るい。ブロック状(方状)の節理が発達していた。そしてスベスベ(見た目と違って靴底の吸付きはいいのだが)の、いよいよ花崗閃緑岩類と思われる領域に入ってきたか?
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ダイナマイトを充填したボーリング痕か!こんなに山奥の沢の中で、いったいどのような作業が行われたか。鉱山会社が経営した臼別温泉との関わりは?。緑っぽい色合いの岩石が多く出てきた。
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甘い者子さんも感想を述べていたが、河床に転がる鉄パイプがそこここに散見された。これは何の、何時の残骸だろうか?★両国抗(両国鉱山:臼別川の源流で、白水岳の北北東1.1km、北東沢出合いの北側尾根)の記録がある。1868年に個人により探鉱されて、1954年に住友金属に所有が移ったという。その後久遠鉱山と呼ばれて、1961年出鉱を見た。1963年には採鉱を中止したらしい。…これとの関わりははたして…。
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(※)Co210mの滝:泳ぎも、高巻きも、支点を取っての懸垂でも…、懸かる流木の奥の右へ出ればOKだ。岩は方状節理の発達した花崗閃緑岩類の大きな塊だ。手がかり足がかりが少ない大きな岩は、流水にまん丸に研ぎすまされていた。泳ぎが通過に一番早い。「泳ぐか」の声がかかるが、テン場はまだ奥だから、慎重に支点を取って懸垂を選択した。★懸かる流木の高さは、増水時の流量の豪壮さを知らせてくれる。雨に降られりゃ足止めだ!
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滝の天板はテーブル状:左右の巨大な岩塊は濡れて水に磨かれているけれど沢靴への吸い付きは良し。上の写真、まるで人工物のような節理だった。
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N氏行く:Co220m二股(丸山沢出合)。経験不足で、沢の中の地図読みが不十分だった。沢登りする以前の地図読みの経験が、しばらくの間邪魔になった。微地形にとらわれ過ぎるた(谷壁に邪魔されて読めるはずがない)。凸型、凹型、尾根、傾斜、地形を読み過ぎた(全体が見えないのに無理なのだ)。沢の中の地図読みは、やはり経験を積まないと不安が重なるだけだ。沢登りの地図読みができるまでは、沢の分岐、歩行時間(歩数計は無粋か?)だけを頼りにせざるをえないと考えている。
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スヮッ、沢身に奇岩が?と思いきや、陰に回るとブナの倒木だった。手前に根張り部分の下層(B層)を大きく見せていた。
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沢歩きは、小さな流れもたいせつな地形情報として見逃せない。地図読みは、近々の降水量と、水量と、方位と…を材料に、今のところそれが一番と思っている。
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Co260m二股(6月沢出合)(13:10):水量OK、方位OK、傾斜OK…そして右を選んで前進した。
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上の三枚:6月沢出合のすぐ下流の右岸にあった”硫酸銅の色”に染まる花崗閃緑岩類。染めているのは何か知りたい。
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滝壺の色は、上記水酸化銅の色と、心なしか通じあえる色合いだった。★方状節理の岩塊の色合いがくすんで見えるけれど、やはり花崗閃緑岩の仲間だ。太田海岸に見る同種の岩石(漬け物石に重宝されている海岸の丸い石)は、これよりかなり白っぽく明るい色だ。こちらの隆起地塊は”遊楽部ドーム”、太田の方は「毛無山ドーム」と呼ぶようだが、「遊楽部ドーム」の説明では、石英は消光し、汚濁が普遍的で、カリ長石が少ない角閃石黒雲母花崗閃緑岩だという。太田海岸の漬け物石は、変質が弱くて、汚濁が進んでいないので、見た目にも漬け物石に新鮮で相応しいか。
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テン場のCo320m二股(7月沢出合)テント場(14:50に到着したN氏。右が本流(白水岳)が、左が7月沢(遊楽部岳に突き上げる沢)が。
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煙のまかれて楽しからずや今宵の焚火→:山深くとも禁漁河川だ。糸を垂れることもせず深山渓谷の夜は更ける。夜明けまで楽しい焚火の番を務めたいのだが…。「…」となってはいけないと早寝する。
ブナの落葉層をベットとし、ブナの樹幹を柱にし、ブナの樹冠が天井となって深山に一夜を明かす!
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(※)二日目の朝、今日の渓相は如何!。天気情報は、台風崩れの低気圧が日本海に入ってくるかも知れないという。三日目に天気に崩れられたら沢の中に停滞を強いられる。勤め人のN氏はそれでは困る。白水岳越えに衆議一決して、もうここの楽園には戻らない。
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北西面直登沢:ガレ場が気になり利用しにくい白水岳直登沢だ。さらに上部のコンターから藪こぎが長すぎる。
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(※)滝場を越えて:北西面直登沢出合いを曲がると、そこは最後の滝場になっていた。水量も流石に少なくなってきた。岩塊は依然として丸く大きく磨かれた岩が続いていた。
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北東面直登沢:いよいよ最後の分岐に来た。正面から直登沢からの流れが見える。正面の流を頂まで201°(真北)の方向にまっしぐら…前進あるのみだ。
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610mの小さな分岐:左を取ると白水岳と冷水岳の周回路へ出る。我々はあえて薮の強い直登沢に挑んだ。はたして待っていたのは強の薮と急斜面。
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(※)北東面直登沢は、最後の藪こぎは案の定とても濃い薮であった。生傷だらけになって、よれよれになるまで闘うはめになった。平長な尾根に出てからも、歩道のある標識までのルートファイテングにチョット難儀した(理由は上記)。
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(※)白水岳から平温泉まで:よれよれの体にむち打っての下山だけれど、濃霧で展望も全くなかったけれど”美しい沢に、沢の一夜に大満足”の臼別川本流の遡行であった。また歩きたい臼別川本流。その機会が訪れたならば、さらに丁寧に歩きたい。それがとても楽しみだ…。
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