. 鉄砲岳 540.2m <三角点:点名 上二股 540.19 m > OOTENGUYAMA→世を挙って之を誉むれども、勧むることを加えず。世を挙って之を非れども、沮むことを加えず。→世間中がこぞってって自分をほめたからといって、それで大いにはげみ勇んで仕事をすることもない。反対に、世をあげて自分をけなしても、そのために、意気がくじけるかといえば、そういうこともない。つまり、かれは、世の毀誉褒貶について心を動かさなかった。
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行 程】2009.01.18(日)→函館発(5:30)→→落部→(落部から11kmで道道と下二股林道の分岐)→下二股林道入口から林道を1800m進んで伐採事業用の除雪終点(伐採木集積・積込場Co130m)に駐車(6:50-05)→→段丘上の林道を5.3km進んで取付き尾根Co215m着(10:00)→尾根を鉄砲岳に向って1.7km標高差340mで頂上に至る(11:50-12:20)→林道へ(13:33)→駐車地点着(15:20)→函館着(16:50)

三角点】 点名 上二股 種別等級 三等三角点 地形図 室蘭−濁川 世界測地系N42°05′46.0797E140°19′20.7713 標高 540.19 m (X)-211483.875 m(Y)5991.776 m 現況状態 正常 20020906 所在地 二海郡八雲町字落部 

コースの地形】落部川は”下二股川・上二股川・釜別川”の三支流が銀婚湯付近で合流して噴火湾に流れている。名峰”鍋岳・野田追岳・狗神岳”に囲まれて、三河川とも甲乙つけがたい流域面積を誇っている。落部川の源流は?と聞かれると直ちには応えられないほどだ。道道から下二股林道に分れると、直ぐの数軒の人家の中に国有林の境界標識が設置されていた。これがかなり奥にある国有林の領域まで、林道の敷地がヘビのねぐらのように続いていた。

 下二股川沿いは戦後開拓による農地への払い下げが実施された地域で、林道部分だけが国有林野のまま残されたものであろう。大規模に発達した河岸段丘面を農地として開拓にあてがわれたもので、その段丘面は、長さにおいても高さ(下二股川河床から比高30mにも及ぶ)において規模の大きいものであった。一部は荒れ地のままだったが、ほとんどが植林地に、農地として続けられている土地は皆無だった。国有林野のゲート(入口)までの間、幅の広い河岸段丘の私有地が延々<道道入口Co70mから国有林の入口Co200mまで6.4km>と続いていた。

 段丘面の比高が高く、泥岩・砂岩層は地表から隠れていて、火山性の角礫岩に覆われているから、岩角地が発達した急峻な地形が目立って多く見られた。近隣の磐石岳も狗神岳も同等の黒松内層に属している。上流部で名峰「鍋岳」のプロピライトを下二股川下流からの角礫岩主体の黒松内層が覆っていることも手伝って、なかなか人を寄せ付けない奥深い山域になっている。

森 林】段丘と段丘に接する斜面は立派な植林地として利用されていた。他の斜面は岩角地が目立って多いから森林開発も限られている。特に鍋岳への源流域は6kmに渡って森林利用もままならない奥深い地域となっている。ヒメコマツの自生地は、落部が噴火湾川の北限域として知られる(落部より北は、はるかに飛んでアポイの幌満に自生す)。行程の随所の岩角地にヒメコマツが見られた。これほど沢山の自生があっても隣の野田追側に見られないのは、他の樹種もそうだが何が気に入らないのか興味深い事柄だ。


ルート図

写真


↑戦後入植の河岸段丘から下二股の上流の山群
右の三角形の山は537峰・左の三角錐は440峰・中央は△614.6峰
鉄砲岳は右方向で見えない<Co150m・8:14>

↑段丘から三角形の537峰・鉄砲岳は沢を挟んで右側に対峙している
カラマツの植林が目立った<Co150m・8:14>

↑段丘上の耕地跡にハルニレの二次林が生立<Co150m・8:31>

↑梯子沢分岐<Co150m・8:33>

↑梯子沢に懸かる技術遺産的橋梁<150m・8:34>

↑537峰を正面に行く・目指すは右の沢に入る
幅200m比高50mの立派な河岸段丘上のトドマツ植林
戦後開拓に苦闘された跡地<Co157m・9:16>

↑カラマツ植林の取付き尾根を抜けて天然林域に入る
寡雪で時には底まで板が刺さる場面も<Co250m・10:15>

↑かなり急峻な斜面に大面積のカラマツ植林
黒い林は岩角地に立つヒメコマツ林<10:33>

↑鉄砲岳東陵はヒマコマツ林の立つ岩角尾根<10:45>

↑樹冠越しに鉄砲岳を望む<10:45>

↑三岱台地と濁川地熱発電の水蒸気<10:30>

↑林道から急な斜面を登り終えると、鉄砲岳を間近にして突然現われた原地形面状の大きな鞍部
1974年植のトドマツ植林地<Co480m・11:42>

↑鉄砲岳から梯子沢を挟んで野田追岳
鉄砲岳と野田追岳を結ぶライン上の深い浸蝕谷<11:54>

↑山頂はブナの二次林<12:09>

↑ブナの二次林の中にやや幹の曲がったやや太めのブナが混じる。
周辺の天然林は明らかに戦後強度に伐採された林の相だ<△540.2m・12:13>

↑鉄砲岳から鍋岳方向の山々<12:27>

↑原地形面状の台地に植林されたトドマツ
疎林であって下枝が豊富に張り出していた<13:33>

↑二次林状のブナ林であっても伐採から逃れた暴れ木
ストック長は130cm<Co350m・13:05>

↑軟雪をはねのけてブッシュがうるさいカラマツ林を林道へ勢いよく下るKo氏
赤テープは歩道管理者が設置<13:33>

↑沢沿いの林道に近縁の岩角地に立つヒメコマツ
ヒメコマツは裏日本のブナ林地帯を特徴づける
北上して落部下二股川が連続分布の北限。
(遠くに飛んで襟裳の幌満までヒメコマツは空白)<13:36>

↑ホンドテンと思われる生活痕
ヤマブドウの房を雪の中から掘り出して食した痕跡
掘り出し深さは35cm<14:58>


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