. 三角山(大野) 605m <三角点:なし> OOTENGUYAMA→世を挙って之を誉むれども、勧むることを加えず。世を挙って之を非れども、沮むことを加えず。→世間中がこぞってって自分をほめたからといって、それで大いにはげみ勇んで仕事をすることもない。反対に、世をあげて自分をけなしても、そのために、意気がくじけるかといえば、そういうこともない。つまり、かれは、世の毀誉褒貶について心を動かさなかった。
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行 程】2009.02.08(日)→函館発(8:30)→→大野中二股林道入口(標高点265m)駐車(8:45-55)→→中小屋の沢入口(9:00)→北北西稜Co400(10:40)→三角山605m(10:45-59)→二股林道入口着(11:35)→函館着(12:30)

三角点】設置なし!

コースの地形】大野川に沿って国道227を行く。天狗橋付近が、山迫って大野川の最も狭隘なヶ所になっている。両側から山が迫っている天狗橋周辺は終日陽が射すこともなく、冬期間ドライバーを緊張させもする。地形図を見ると、三角山の頂きから天狗橋を挟んで△点523.2の頂を結ぶ東側が、かなりの急崖となって斜面がはげ落ちている。特に三角山の頂から東側に、ほぼ垂直に落ちる崖が谷底に落ちている。三角山の発達していた雪庇は、500m前後の低山では、焼木尻岳(561.1m)のそれを超えていた〜と見えた。地質図を見ると、天狗橋を挟んで三角山〜天狗岳〜中二股ダム付近の地形ブロックは、南北1,400m、東西700mの貫入岩類(天狗岳安山岩)とされていた。

 登頂コースは、地形図で東側から取付くルートを追うと、急な崖をクリアーしなければならず、かなりの力量が問われると見えた(天狗橋から入り東南東稜からのコースも、雪稜の美しさを求めるなら興をそそられるコースだ)。一般には西側の中小屋の沢から入り、北北西稜に取付くことになる。登頂後の下りは、北北西稜の末端の国道まで下りるルートを試みたが、送電線を過ぎたあたりで細かなうるさい木立になってきた。軟弱にも来た道の中小屋沢林道へ、幅広い凸地形ねらって下りてしまった。登頂は、中小屋沢から入りさえすれば、北北西稜のどの位置に取付いても問題はない斜面と見た。

森 林】中小屋沢に沿って発達していた山麓緩斜面は、北北西稜から土砂が供給されて出来た緩やかな地形だ。崩れて積もった土の層は、土地生産力が高い。案の定立派な成績のトドマツ植林地になっていた。斜面の中部〜上部では、植林地から落葉広葉樹の天然林に変わっていたが、その界は、土地の肥沃度に見事に対応していた。肥沃な土壌の土地は植林地に、貧栄養の土壌の土地は広葉樹天然林として管理されていた。地形ブロックの北北西稜は、大野川を吹き下ろす北西風の大障壁となってはだかっている。おのずと絞られて吹きすさぶ強風となってぶつかるから、尾根付近に落枝が多かったし、ササや潅木がこの時期にあっても雪面から出ていた。ブナやイタヤカエデにダケカンバも混じる尾根の林で、林床にはツツジの類が顔を出してもいた。雪庇の発達した斜面は、おそらくタニウツギやヒメヤシャブシなどの雪崩荒地植生であろうか。


ルート図

写真


↑中小屋沢に沿って広がる山麓の緩斜面は土地生産力が高い肥沃な土壌だ。
トドマツ1937年植栽の林を、スノーシューで地吹雪の中を行くKo氏。

↑尾根近くなるごとに上部は急な斜面になっていた。
1958年に植栽のトドマツ植林で、間伐(?)であろうか、
伐採されて帯状の空き地が広がっていた。

↑大野川を吹き下ろす北西風の大障壁となっている北北西稜だから、
ササや潅木がこの時期にあっても雪面から出ていた。
低い位置で幹が曲がった広葉樹もその現われとみた。

↑北北西稜におそろしく発達した雪庇越しに、木地引山(牧場)を望む

↑国道227号の向かいの小さな山は”△点523.2の頂。
△点523.2の右側(東側)斜面は、三角山の東側から延びる断層の崖。
遠く二股岳825.6mの雄姿

↑北北西稜の眼下に望む”ダムサイト”と左手前の”天狗岳373m”

↑耐風姿勢で行くKo玉氏

↑碧空と地吹雪の北北西稜

↑木地挽山高原(牧場)681m

↑雪庇越しに”二股岳”、その右に低い山の”弥五兵衛岳649.9m”。
”遠く駒ヶ岳の馬ノ背892.2m”を望む

↑山頂の雪庇を避けて、立つKo&T

↑山頂の雪庇の張り出しを覗いた。
ここから150mの高さで雪崩荒地が続いていた

↑戸切地側方向に延びる尾根のブナ林

↑北北西稜のダケカンバ・ブナ・イタヤカエデ・シナノキ林
<強風尾根の森林のようす>


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