. 袴腰山 はかまごしやま 616.1m <・点名 袴腰 標高 616.11 m > OOTENGUYAMA→世を挙って之を誉むれども、勧むることを加えず。世を挙って之を非れども、沮むことを加えず。→世間中がこぞってって自分をほめたからといって、それで大いにはげみ勇んで仕事をすることもない。反対に、世をあげて自分をけなしても、そのために、意気がくじけるかといえば、そういうこともない。つまり、かれは、世の毀誉褒貶について心を動かさなかった。
桂岳の東方に連なり言われてそれとわかる函館から遠望できて「穏やかな姿の頂」

行 程】・2009.03.29(日)茂辺地川沿いに道道29号上磯厚沢部線を市ノ渡、戸田、マナゴ、二股と11km進んだ東股川・西股川の分岐(二股)に駐車(標高80m/時刻9:30)→三角点(点名二又)146.10m〜・268のヤセ尾根を使って(c265mのヤセ尾根通過を断念、危険回避して沢に下りて迂回す)袴腰山の南東稜のポコCo430に出る(430m/11:20)→ポコCo530を超えて山頂に至る(616.1m/12:15)→山頂発(616.1m/12:45)→往路のトレースを踏んで東股川・西股川分岐着(80m/14:30)

・往路<<東股川・西股川分岐発〜袴腰山着:距離3.3km/時間2時間45分>>
・復路<<袴腰山発〜東股川・西股川分岐着:距離3.3km/時間1時間45分>>

三角点】・点名 袴腰 等級 三等三角点 地形図 函館−館 緯度41°50′14.025経度140°29′24.197標高616.11 m(X)-240212.839 m(Y)19937.334m現況状態報告なし 所在地 北海道北斗市字茂辺地AY00043S J1UpXp

コースの地形】・茂辺地川は河口から約20kmほどの長さで分水嶺(梅漬峠)に達するが、実はその中程(二股)で東股川と西股川に名を変え分れて分水嶺に向っている。東股川も西股川もそれぞれ8kmの長さをもって、流域面積においても両川は2500ha程度と拮抗して流れ、袴腰山は双方の流路の中間に位置している。桂岳・不二山・袴腰山・雷電岳・設計山(仮称:K-Mベルト)は分水嶺に並列して津軽海峡側に離れて並んで存在している。これらK-Mベルト内の各座の頂きの高さに比して「標高が300m〜500mの分水嶺はいかにも低い」と言うおもしろい地形配置になっている。

・河口から茂辺地→市ノ渡→戸田→マナゴ→二股と茂辺地川に沿って旧地名が並ぶが、地質も海岸段丘→黒松内層→戸田あたりで八雲層が現われて標高を重ね、△点146.1(北西側八雲層内に規模の大きな地すべり地形が地形図上からうかがえる)を超えて・246付近で古い地層(粘板岩・硅岩)の領域に至る。繰り返しになるけれど、新しい地層が海峡側と分水嶺付近の双方にあって、そこに挟まれる格好で古い地層の領域(K-Mベルト(仮称))が存在している。なるほど、急降下する・245のヤセ尾根に突っ込むのを躊躇して、いったん沢に下りて急登した場所は、八雲層と古い地層が断層となって接しているらしい。同様の断層がCo430のポコから山頂を結ぶラインの東側に雪崩斜面となって続いるようだった。古い地層は、添山川の石灰岩(セメント会社のガロウ鉱山)を含む上磯層群(中生代三畳紀−ジュラ紀)。

コースの森林】・北海道では津軽海峡に面した標高200m以下の地で、スギが最も盛んに植栽されている。茂辺地川流域もその典型であって古いスギ林や、造成中の杉林のようすもコースから遠望された。地滑り地形や沢沿いにサワグルミ林が、ヤセ尾根にヒメコマツ林といった具合にそれぞれ地形と対応して自生していた。戦前は戸田沢が民有林と御料林の界になっていたが、御料林の森林の管理歩道は他の歩道と「品格(?)」がひとつ違って、時は過ぎてもその形跡をうかがい知ることが出来てそれは当時の森林官の意気を感じさせてくれる。取付きからのヤセ尾根にかかる歩道はそのひとつだった。残雪の下にその歩道の一部を覗けたが、這って登る急なその歩道の尾根にツツジ型の乾燥植生が見えた。みずみずしいツルシキミの中にイワナシが開花していた。イワナシは松前半島と増毛山地に飛んで、特異な地理分布として知られている。茂辺地川流域のいくつかのヶ所にヒノキアスナロ林を見るが、その場所は概して古い地層のゾーンに自生している。

日本山岳会の創立は1905年。2005年は100周年というわけだが、その記念企画として誕生したのがこの本。「新」となっているのは明治39(1906)年に『日本山嶽志』という本が出ていて、それを母体、あるいは参考にして編纂されたから。その『日本山嶽志』は越後の素封家で山と山登りに興味を持っていた高頭式しょく(仁兵衛にへえ。1877―1958。第二代日本山岳会会長)が独力であらわした大著で、北海道(択捉・国後を含む)から台湾まで、二千数百の山を紹介、さらに登山術(小島烏水)、地質(原田豊吉、小川琢治)ほかを加えて、いわばわが国最初の山岳百科事典であり、山岳図書史上画期的な大著である。明治・大正の登山者はこの本を参考にして山を登った。時代が違うから、いまの山登りに直接役に立つわけではないが、読んでいると興味津々。なつかしい講談をきいているような名調子にも出あう。 岩手山を見てみると・・・。「(別称岩鷲山、霧山嶽、南部富士)陸中国岩手郡ノ北西ニアリ、田頭村大字平笠ヨリ二里十一町ニシテ其山頂ニ達ス、標高六千八百三十一尺」として、登路や歴史を解説している。「我邦ハ、山嶽重畳シテ、富嶽ノ秀麗、阿蘇山ノ雄壮、倶ニ世界ニ冠絶ス、信飛ノ境、欧人ノ所謂「日本あるぷす」ハ、山勢雄渾、渓谷幽邃、原人時代ノ景象ヲ現出シ、彼ノ国人ヲシテ称賛措ク能ハザラシムルニ非ズヤ」などという文章は、当今のふやけて冗漫な文章とは違って凛然としている。古書でも高値で簡単には読めないし、覆刻版も30年前でやはり手にいれにくいから、わずかだが内容を紹介した。 そして『新日本山岳誌』だが、項目に出る山が全国およそ3200(文中を入れればおよそ4000)。執筆は日本山岳会各支部がお国自慢的に地元の山を担当している。単なるガイドではなく、その山の歴史や地質、動植物、民俗など、記述には幅がある。執筆者は、たとえば槍ヶ岳は槍岳山荘の穂苅康司、八ヶ岳は黒百合ヒュッテの米川正利という次第で、そういう愉しみもある。

ルート図(電子国土地図)


↓写真:(二股)東股林道が除雪されていたから林道歩きを省くことが出来た。
(標高80m/時刻9時21分)トドマツ林の背後の尾根は三角点点名「袴腰 標高 616.11 m」へ取付き

↓写真:桂岳-設計山ベルトの西端「桂岳」.八雲層を突き抜けた角閃石石英安山岩ドーム

↓:西股川が浸蝕した左岸の崖状凹形急斜面をよじ登る

↓:標高270
古い地層と八雲層の界にできた断層(写真の吊り尾根を横断している.)

↓:古い地層域に入る.かなり急な斜面を行く.
往時の森林官の心意気を感じられ品格ある御料時代の森林管理歩道.

↓:同上乾燥土壌(BA型)に特異な地理分布のイワナシ.
開花直前のピンク色が目をこらすと中央に認められる.

↓:古い地層の領域;ヤセ尾根の林「ヒメコマツ林」

↓:標高520付近の雪堤.
左の古い地層と右の八雲層;界に出来た断層に沿って発達した雪崩れ斜面(東側).

↓:東股側のスギ植林の斜面越しに函館平野を見る

↓:山頂のようす.
ダケカンバが混じるブナ林.

↓:K-Mライン(仮称)に含まれる桂岳と不二山.
↓:奥に桂岳(デサイトドーム)と眼下の不二山(流紋岩)が八雲層を貫いてピークを形成.

↓:ブナの樹皮に33年間残る人の思い.
金具が木部の達しないと、生長に巻き込まれないでかなり残るものです.

↓:八雲層域に発生した地滑り跡地.右奥が三角点146.1m
スギの幼齢林が雪圧に抗して…土壌条件に恵まれて往々にして優良な植林地になる.

↓:同地の頁岩

↓:同地の切り土

↓:春山の印.何回転がったのか.
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