. 賀呂山  <・点名 賀呂 標高693.93 m > OOTENGUYAMA→世を挙って之を誉むれども、勧むることを加えず。世を挙って之を非れども、沮むことを加えず。→世間中がこぞってって自分をほめたからといって、それで大いにはげみ勇んで仕事をすることもない。反対に、世をあげて自分をけなしても、そのために、意気がくじけるかといえば、そういうこともない。つまり、かれは、世の毀誉褒貶について心を動かさなかった。
雄鉾岳・沖沢山などの分水嶺の峰を背に、凝視してそれと分かる森林の覆われた三角山、賀呂山、札幌山の三山のひとつ:同行Shoさん、Sakagさん

行 程】・2009.04.11(土)春日小学校付近の・42m十字路を音名川支流になる賀呂川右岸を進みCo110mで左岸に渡る。・144m付近のトドマツ植林手前(牧場)に駐車する。→

・車デポ地からスキー履いて出発(標高145m/6時30分)→トドマツ植林地を100mほど進むと林道(音名川林道)は雪は消えて乾燥路面になりスキーを担いでテクテク→・337m付近で再びスキー着用→林道分岐(左が第一支線)から四等三角点点名営林境366.0mの尾根へ(330m/7:15)→・440通過→・564通過と進み→Co600m鞍部で、堅雪急斜面を手前にスキーをあきらめスキーデポ(595m/8:15)→山頂(693.7m/8:45)→

・山頂発(693.7m/9:15)→四等三角点点名営林境366.0m手前から第一支線の国有林の林道ゲートに向って下りる→林道分岐着(330m/10:31)→車デポ地(145m/11:10)

・往路<<牧場とトドマツ林界発〜賀呂山着:距離5.8km/時間2時間15分>>
・復路<<袴腰山発〜東股川・西股川分岐着:距離5.8km/時間1時間55分>>

三角点】・点名 賀呂山 等級 二等三角点 地形図 室蘭−遊楽部岳 緯度 42°10′42.6151 経度 140°10′41.2207 標高 693.93 m (X) -202335.397 m(Y) -5938.305 m 現況状態 正常 20080710 所在地 北海道二海郡八雲町字ガローAY00043S J1UpXp

コースの地形】・南東方向に流れる遊楽部川に向って、河口側から砂蘭部川・音名川・鉛川・ペンケルペシュベ川が、ほぼ直角に南西から流れ込んでくる。砂蘭部川と鉛川の間にある音名川の源流に賀呂山はある。

・雄鉾岳(999m)・三角山(741m)・賀呂山(694m)・札幌山(540m)が概略東南東方向に並んで標高を減じているが、それぞれ・火山角礫岩・貫入岩・貫入岩・泥岩で、地形は・岩壁・三角形・ドーム・緩やかな山体に見えて、地質が反映した地形的特徴を八雲町市街から指呼できた。

・春日周辺の河岸段丘←Co90m付近→瀬棚層←Co280m付近→黒松内層←Co400m付近→八雲層←Co600m付近→と標高を重ねて、班岩ドームの賀路山に至る。大きな平野の河岸段丘と緩やかな地形の瀬棚層が八雲町の牧畜・農業の基盤になっていて、黒松内層あたりから山地らしい地形となってそこは森林域となっている。

・賀呂山から賀呂川に落ちる斜面は、相沼内川側のガガとした山々の地形(エガミ山・スルカイ岳・沖沢山・元小屋沢山・雄鉾岳を含む黒松内層「火山角礫岩部層」)の北方延長部分にあたり、崖記号の多い谷間である。賀呂川の命名はこの地形と関連がありそうだ。

コースの森林】・工事中

日本山岳会の創立は1905年。2005年は100周年というわけだが、その記念企画として誕生したのがこの本。「新」となっているのは明治39(1906)年に『日本山嶽志』という本が出ていて、それを母体、あるいは参考にして編纂されたから。その『日本山嶽志』は越後の素封家で山と山登りに興味を持っていた高頭式しょく(仁兵衛にへえ。1877―1958。第二代日本山岳会会長)が独力であらわした大著で、北海道(択捉・国後を含む)から台湾まで、二千数百の山を紹介、さらに登山術(小島烏水)、地質(原田豊吉、小川琢治)ほかを加えて、いわばわが国最初の山岳百科事典であり、山岳図書史上画期的な大著である。明治・大正の登山者はこの本を参考にして山を登った。時代が違うから、いまの山登りに直接役に立つわけではないが、読んでいると興味津々。なつかしい講談をきいているような名調子にも出あう。 岩手山を見てみると・・・。「(別称岩鷲山、霧山嶽、南部富士)陸中国岩手郡ノ北西ニアリ、田頭村大字平笠ヨリ二里十一町ニシテ其山頂ニ達ス、標高六千八百三十一尺」として、登路や歴史を解説している。「我邦ハ、山嶽重畳シテ、富嶽ノ秀麗、阿蘇山ノ雄壮、倶ニ世界ニ冠絶ス、信飛ノ境、欧人ノ所謂「日本あるぷす」ハ、山勢雄渾、渓谷幽邃、原人時代ノ景象ヲ現出シ、彼ノ国人ヲシテ称賛措ク能ハザラシムルニ非ズヤ」などという文章は、当今のふやけて冗漫な文章とは違って凛然としている。古書でも高値で簡単には読めないし、覆刻版も30年前でやはり手にいれにくいから、わずかだが内容を紹介した。 そして『新日本山岳誌』だが、項目に出る山が全国およそ3200(文中を入れればおよそ4000)。執筆は日本山岳会各支部がお国自慢的に地元の山を担当している。単なるガイドではなく、その山の歴史や地質、動植物、民俗など、記述には幅がある。執筆者は、たとえば槍ヶ岳は槍岳山荘の穂苅康司、八ヶ岳は黒百合ヒュッテの米川正利という次第で、そういう愉しみもある。

ルート図(電子国土地図) ←【地図の上の記号にカーソルを重ねると吹き出し情報が出ます】

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↓:(150m/6:24)牧場域と森林域の境.車はここのデポ.
スキーを履いて出発するが間もなく乾燥した林道になる.

↓:(290m/7:13)右が音名川林道、左が同第一支線.左側奥300mに国有林のゲートあり.
間の尾根に上がる.左の林道は音名川を越えて札幌山へ、右の林道は音名川源流へ.

↓:(賀呂山・ 693.93 m /8:38).ピンクテープがダケカンバ5本に巻かれていた.
登山者の目印とは思われない.地理院では現在、八雲町で行っている国土調査のために
使用する基準点(四等三角点)を設置する測量(国土調査に伴う基準点測量作業)を実施して
いるが、二等三角点賀呂山を使用する測量は行っていないもよう.桃色テープは多くの測量
業者が三角点の目印や登山道の目印に使用しているが、何の目的でどこの測量業者が巻
いたか不明.三角点の目印として周囲の木に巻き付けたものと思われるが、場所が国有林
内なので、国有林関連の測量かも知れない.尚、桃色のテープは強度的にはあまり強くなく
数年でぼろぼろになる.テープを巻かれた樹木の成長には全く悪影響はないであろう.   .

↓:展望1.峨峨とした賀呂川の谷間越しに・・
秘峰沖沢山の岩塔も見える.

↓:展望2 雄鉾岳の北東岩面の壁

↓:展望3 八雲平野越しに羊蹄山〜ニセコ火山群

↓:(400m/9:26)ブナの巨木が点在する尾根.
さらに下ると緩斜面状の幅のかなり広い尾根が現われ得て
ハリギリが目立って生立していた.ハリギリは尾根に立たないけれど
尾根の幅が広くなると弱湿性土壌が醸成されてハリギリの適地になってくるようだ.

↓:林木遺伝資源保存林.ウダイカンバの植林地だ.
ウダイカンバの植林地は何処にもあるものではない.
人工的に成林させるのはナカナカ困難なことであるからだ.
ここもその例に漏れず、ウダイカンバ植林地を維持することが困難と見た.
山火事跡地などに自然更新したウダイカンバの二次林はそこここに見られるけれど・・・.

↓:手前に札幌山・賀呂山・三角山.背後に沖沢山・元小屋沢山・雄鉾岳

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