. ・八幡岳664.6m・点名 八幡岳 664.61 m・茂刈山 382.6 m・小等三角点名 茂刈382.61 m
同行Shoさん、Sakagさん、Takayanagiさん


・八幡岳

行 程】・2009.04.17(土)ルート227の愛宕町から豊川町→豊部内川左岸に沿って進む.最終人家を過ぎて橋を渡り右岸に移る.さらに1000mほど進んむと鳥居のある広場(サダサ川・金堀ノ沢の分岐)に至る.分岐を左、サダサ川の右岸に沿う林道を2700mほど進むと林道終点の「登山口」に至る.

・登山口から、左に元山、右に笹山・八幡岳の方向に歩道は分岐する.風景林の案内板に従って右側の歩道を・403尾根を経由してさらに尾根道にそって進むとCo405付近で沢に向う歩道に出合う.かまわず右の尾根道をさらに・545を経由してCo580付近の台地に出ると、指示標がないと分かりずらいが、八幡岳へと分岐する歩道がある.笹山神社からほぼ300m手前だ.しっかりした原生的ブナ林(地衣類が豊かな樹幹)を堪能しながら、御料林時代の森林管理道だろうと思われる第一級の歩道を1800mほど歩いて八幡岳山頂に至る.今西錦司も訪ねたそうだ(Sakag氏談).

往路<<林道終点登山口→八幡岳:距離3700m/時間1時間30分>>
・復路<<八幡岳→笹山参拝道の谷間のつづら折り路経由登山口:距離5000m/時間1時間30分>>

三角点】・「点名 八幡岳」 種別等級 一等三角点 地形図 函館−江差 緯度 41°51′06.7714 経度 140°13′47.9671 標高 664.61 m(X)-238613.29 m(Y)-1661.445 m現況状態 正常 20080710 所在地 北海道桧山郡江差町江差事業区57、165林班/桧山郡厚沢部町 桧山事業区269林班 点の記図選点M29.07.23 設置M30.08.07 観測H14.09.02GPS測量・高度基準点測量

・インテリジェント基準点(標石にICタグが埋め込まれる)=09.04.17現在:国土地理院北海道地方測量部測量某課長談「八幡岳の標石の穴は、国土地理院の測地部で、インテリジェント基準点作業前半に穴をあけた…、作業中に土砂崩れが発生したため三角点への到達が困難…観測点を変更しなければならなくなり、ICチップは埋められずにそのままになってしまった.今後、観測する機会が巡ってきましたらチップを埋めることになる.しばらくは穴があいたままになります・・・」

コースの地形森林】・登山口から古期岩類(松前層群)だった.急な斜面をトラバースし、硬い石が転がっている尾根の道を笹山付近の町界の尾根まで登ることになる.笹山から、厚沢部町側が急崖になっている非対象の山稜の尾根を進む.樹皮が地衣類に濃く被われているブナの美林を堪能し、時にはチャートの岩壁を左に見ながら八幡岳に至る.山頂もまた非対称山稜で東側は崖になっていてチャートが露出していた.天の川、厚沢部川に挟まれた地域で、南東方向の木古内境瓜谷岳・梯子岳まで稜線を伝って一望できた.厚沢部町と上ノ国町にまたがるこの山域は古期岩類であって、ヒノキアスナロ自生地の分布とっしっかりと重なっている地質であることがことが古くから知られている.

展望がよく効く雪山の八幡岳から、一万へクタールのヒノキアスナロ林の領域を一望すると、往時の密度の高い宝庫としての林は、ほとんど見ることができなかった.傾斜が30°超の急傾斜地にも作業道路が縦横に張り巡らされているのが見渡せた.1695年・元禄時代からの森林保護政策のもとに、濃密なヒノキアスナロ林がその時々の人々によって近年までだいじに保存・保続されてきた.この積雪期の展望から、21世紀になって見るべきヒノキアスナロの広がりが消えてしまったように見えるのは寂しいかぎりだ.1999年にヒノキアスナロは「今後しばらくの間は伐採しない」こととして計画を立てられたのはどう引継がれたのであろうか? 八幡岳にたたずんで、機械力の進歩が、ヒノキアスナロ林を貧弱なものにしてしまったのか? はたまた森林管理の手法が低下した歴史がそうさせたのか?….心なしか、ヒノキアスナロが立つ地形・土壌・植生までもが壊れてしまったように、僕の目にはあ映ってしまう.森林管理の「技術の伝承は望むべくもない」といわれてから久しいが….

・近年の林道の管理は、登山家は林道を自由に出入りしたいのだが、住民の安全を図るためにも、ゲートを設置して無断立入りを禁止している.結果的に国有林の森林内は、住民の目に触れにくくなってきている.その意味で国有林の森林は「閉ざされた」管理と言い当てることもできる.・”「住民の目」からは遠くなりにけり”であろうか!機械力の発展に森林管理技術が追いつかない…”「森林管理の心」は森林が求めているものからますます遠くなりのけりであろうか!


チャート:八幡岳の頂きで採取(松前層群のチャート層から)【堆積岩の1種.石英の微粒子からなる緻密な硬い岩石.深海に化学的に沈殿堆積したものが多い.】チャート チャート:茂刈山の小等三角点付近で採取【少量含まれる塵状鉱物によって、赤褐色、淡緑色、灰色などの色を呈している.破砕しても鋭角的なものが残り、車のタイヤを破損させるから注意を要す. ベニチャワンタケ:茂刈山の直下トドマツ植林の林床にTakayaさんが見つけた.腐朽した落枝(φ1.3cm)上に生えていた.茎なく、鮮やかな紅色だった.外面に細かい毛が密.同氏が仮にエイリアンタケと命名した.

・茂刈山 

行 程】・2009.04.17(土)笹山登山口から豊川→中歌→本町→新地→茂尻→陣屋→の旧街並みを車で飛ばしてルート228経由で上ノ国へ.

・北村→大留→新村→中須田→豊田集落経由で、重唱石採鉱の「茂賀利山鉱山跡地」方向へと向う.豊田の交差点から2500m付近に「仮登山口」の表示板があった(ルート図参照).

往路<<登山口→:距離1300m/時間 40分>>
・復路<<→登山口:距離1300m/時間 40分>>

三角点】・「点名 茂刈」種別等級 「小等三角点」 冠字選点番号 「栄4」 地形図 函館−上ノ国 緯度 41°47′20.8322経度 140°10′27.1972標高 382.61 m(X) -245580.85 m(Y) -6298.368 m現況報告なし 所在地 北海道桧山郡上ノ国町大字上ノ国AY00043s J1UpXp 

・<小等三角点の解説は→【五等三角点のほか、三角点と名前のつく変わりものの測量標石では小三角点があります.1911年(明治44)北海道庁から陸地測量部に要請があり設置された基準点で渡島半島南部(函館の西)に30数点ありました.現在もまだ数点残存しており国土地理院のデータベースでは「小等三角点」として整理されています(上西 勝也)】> 

・<なお、地形図上の表示は、小等三角点の位置に三角点「△」の表示はない.現地測量による標高点「・382.6」として表示されていた.→さらに、小等三角点「茂刈」から距離474m 方向333.70°に、同名の四等三角点「茂刈」冠字選点番号 「長16」がS31.08.10に設置されていた>

・<小等三角点に並列して林野庁が設置した「山」と刻まれた図根点「12」があった.図根点の一般的説明は→【図根点は「図等三角点」ともいわれ周囲の三角点から観測し実際の三角点上では観測しないという前方交会法により位置を決定したものです.これは無線鉄塔などで構築物上で測量することができない場合につかわれますが精度は低くなります.本来、図根点は三角測量のあとの細部の測量につかい標石の埋設はせず、その位置が測量によりはっきりすると、すぐ測板上の図面に移してしまいます.標石として設置されるのは重要な場所や再現が必要な場所に限られます.図根点標石の設置は1940年、50年代が多かったのですが現在はありません(上西 勝也)】>

コースの地形・森林】・登山口から歩道に硬いチャートがゴロゴロ転がっていた.この石ころは、歩道の維持修理のためのササ刈りに際して、刈り払い機の刃物が触って難儀させたものと思われる.古期岩類(松前層群)に含まれる豊田地区で重唱石採鉱の「茂賀利山鉱山」があった.鉱口を探索出来なかったが、そのつもりで探索してその「結晶」を採取のは後日に譲ることにしよう.ミズナラ二次林の下の歩道に沿って、刈り払い幅いっぱいにカタクリの絨毯の道だった.花被片のでっかいことにみなが驚嘆した.トドマツ植林を直登してからススキ・ササ群落の中に出た.なんなく茂刈山頂上に至る.山頂は裸地やススキ・ツツジ群落であった.なかなか森林への遷移が見られないのは、チャートが露出する貧相な痩せた土壌や海からの風衝が手伝っての植生なのであろう.

1902‐1992
昭和時代の生物学者、登山家。
明治35年1月6日生まれ。昭和34年京大教授。42年岐阜大学長。棲(す)み分け理論をとなえ、独自の進化論を展開。日本の霊長類学の基礎をきずき、晩年は自然学を提唱した。学術調査、探検、登山のリーダーとして活躍。62年国内1552登山を達成。日本山岳会会長。54年文化勲章。平成4年6月15日死去。90歳。京都出身。京都帝大卒。著作に「生物の世界」「私の進化論」など。

堆積岩の1種。石英の微粒子からなる緻密な硬い岩石で、深海に化学的に沈殿、堆積したものが多い。

少量含まれる塵状鉱物によって、赤褐色、淡緑色、灰色などの色を呈している。

一般には砕石として使用されるが、破砕しても鋭角的なものが残り、あまり好まれない。


・「元山・笹山・八幡岳」の松前層群に含まれるM1(チャート)ブロックのようす.露岩では赤色に着色されているチャートが目立った.午後に向った茂刈山も同質・同色のチャートだった.・元山の下のRbは、古期岩類を破って鮮新世頃に出た流紋岩.(原図:DigitalGeologicalMaps of South Hokkaido)

.↓茂刈山ルート図

↑【地図の上の記号にカーソルを重ねると吹き出し情報が出ます】【八幡岳の位置図は同行者のHP参照

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